妥協や従属に価値はない

エンタメ紹介

この言葉は森見登美彦さんの「四畳半タイムマシンブルース」での主人公の言葉だ。

刺さったので思うことを書いてみる。

背景について

まずこの言葉が発せられた背景について書きたい。

この主人公は卑屈で、サークルに入るも結局馴染めずやめてしまい、四畳半の部屋で怠惰な生活を営むような大学生である。

もしかしたら、僕と似ているのかもしれない。

そんな主人公は1つ下の後輩である明石さんに密かに想いを寄せていた。

この明石さんというのは映画サークルで誰がみてもポンコツだというような映画を作り続けている。

そんな自由さと好きなものへの情熱を兼ね備えた魅力的な人物である。

さっきの言葉は明石さんの映画への姿勢に対する言葉なのだ。

妥協せず、従属しないということはおそらく主人公の理想の姿なのかもしれない。

サークルへの従属や現在の妥協に甘える主人公から見るときっと明石さんは輝いてみるのだろう。

そんな理想になれない自分への葛藤も滲んでいるように思う。

妥協や従属の価値

妥協や従属はいわば処方箋なのではないかと思っている。

もちろん、妥協や従属に甘えてしまう僕たちへのだ。

そもそも妥協や従属を無価値と考えてしまうのは職人気質だったりアーティストになりたいような人に多いと思う。

その中でも、なりたかったけどなれなかった人に多いのかもしれない。

なれている人は自然と1人になってしまうし、むしろ従属を求めてしまう人もいるかもしれない。

話を戻すと、妥協や従属は孤高なアーティストになりたかったけどなれなかったという人のための処方箋である。

理由は自分の欲求を満たす一番の近道だからだ。

アーティストとして欲求を満たすのは道のりが長すぎる。

途中でくじけて近道をするといつの間にか堕落してしまう。

だから価値がないのだろう。

美しい生き方

アーティストという生き方は、美しい生き方である。

ここでいうアーティストというのは単純に世界で評価されていたり、人気のアーティストというわけではない。

大衆に迎合せず、自分の理想をただひたすらに追い続ける、そんな生き方をしているすべての人を指す。

こういう生き方は昔から人々の理想だったりする。

いつかの授業で習った漢詩にもそんな描写が出てきていた。

なぜ美しいと思ってしまうのだろうか。

それはおそらく僕たちが妥協と従属をせずにはいられないからだと思う。

あるいは「孤高」が儚さの裏返しなのかな?

うまく言葉では表現できないけど、そこに美しさがあるのは確かだ。

まとめ

まとめると、美しい生き方に妥協や従属は価値がない、という話でした。

完全に主観ですね。

四畳半タイムマシンブルースの面白さはこれを考えることではないので実際に読んで欲しい。

面白いよ。

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