罪を犯せば、一生許されることはないのか

メモ
罪人でも警察官や教師になる

よくTwitterを徘徊するのでこんなツイートを見かけることがある。

昔、いじめをしてた奴が警察官になってた

なる人はなるだろうと思う。

でも、それを許せない人もいるだろう。

僕も少し複雑な気持ちにもなるけど、仕方がないものは仕方がない。

おそらく、客観的に冷静に見ればそんな人たちが警察官や教師になることに何の問題もない。

問題がないわけではないが、その部分を取り締まることはすごく難しい。

昔はしてたけど改心した人もいれば、今でも変わらない人もいる。さらには最近になってそんなことを始めてしまう人もいる。

そんな人たちが社会に出ると新しい犠牲者がまた出てしまう。

けれど、その裏で改心しまともに生きようとする人もいる。

それでも、その罪は永久に許されることはないのか。

誰に許されたいのか。結局は自己満足だろ

傷つけてしまった人に許されたいのか。大衆に許されたいのか。迷惑をかけた人に許されたいのか。

それとも自分で自分を許したいのか。

そもそも個人的には「許されたい」というその考えがおこがましいと思っている。

なぜ許されたいの?

自分が救われたいからだ。

それは自己満足の類に他ならない。

被害者の立場に立って考えてみよう。

「許して」と言われても、困ると思わない?

許す側にとっては許すか許さないかという選択に全く意味はなくて、どうやって傷を癒していくのかに精一杯だろう。

だから許されたいなんていう考えは捨てた方がいい。

それでも生きていくしかない

その罪の重さに耐えられないなら、自殺すればいい。

でも、それもまた自己満足の類である。

自殺したところで何も生まれないので、死ぬことは逃げだろうというのが僕の考え。

そもそも、罪を犯してしまった時点で何をしても無駄である。

時は戻ることはないし、深く刻まれた傷は一生消えることはない。

それでも生きていたいなら、その罪を一生背負って生きていく。

それが罪を犯した人のせめてもの責任だと思う。

悲劇を悲劇のまま終わらせてしまうのが本当の悲劇だと思わないか?

悲劇から教訓を得られれば、少しはプラスに働く。

もしかしたら、被害者の子孫がその教訓から生み出されたものの恩恵に預かるかもしれない。

ただの慰めかもしれないけど、そう思って生きていくしかない。

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