【エモい文章】「寂しさだけが綺麗な浴室にこだましていた」のエモさを考察

メモ

どうも、エモい人類代表のショーイチです。

今回は、「寂しさだけが綺麗な浴室にこだましていた」という文章が超絶にエモかったので解説します。

明け方の若者たち/カツセマサヒコ

タイトルにある文章は「明け方の若者たち/著カツセマサヒコ」という本にあります。

読み始めたのは昨日で、まだ半分も読み終えていませんがとにかくカツセマサヒコさんの文章に惚れたと言っても過言ではありません。

いや、完全にゾッコンです。

村上春樹さんだったり、市川拓司さんなどの哀愁があるような小説が好きなのでこの小説の文章を好きになるのもおかしいことではないでしょう。

エモさの理由

「寂しさだけが綺麗な浴室にこだましていた」という文章がエモい理由は以下の3つだと思っています。

  1. 感情の統一
  2. ギリギリ理解できない
  3. 展開を読ませない
理由1:感情の統一

「寂しさだけが綺麗な浴室にこだましていた」という文章に注目してください。

大体全ての言葉に寂しさが宿っていると思いませんか。

「寂しさ」にも「だけ」にも「綺麗な」にも「こだましていた」にもです。

「浴室は寂しくないのか!」と言われると、それはどちらでもいいだろうとは思います。

しかし、この浴室はラブホのホテルで主人公が彼女との経験差に不満を覚えながら見た浴室です。(実際に入ってはいません。)

そういう意味ではこの「浴室」にも寂しさが乗っているのかもしれません。

理由2:ギリギリ理解できない

「理解できなかったらエモいかわからないだろう!」と言われるかもしれませんが、それは違います。

「ギリギリ」理解できないというのがポイントです。

完全に理解できないと理解しなければいけない部分が多くなるのでエモさを感じるどころではありません。

しかし、ギリギリだと話は変わってきます。

この文章の場合、単語として理解できないものはありませんが単語の組み合わせが理解できませんよね。

そのため、速やかに我々を考察と感情の世界に誘ってくれます。

ギリギリ理解できないということで文章の解釈の一端を私たちに託しているのです。

だから、一人一人がベストな受け取り方をするのだと思います。

理由3:展開を読ませない

「展開を読ませない」という言葉が適切なのかは定かではありません。

1つだけ言えるのはこの文章が物語において意味があるのか、物語の展開を左右するのか、伏線になっているのかというのがわからないということです。

この要素があることで物語を読んでいる間、この文章が意識に残り続けます。

それを意識しすぎることで新たな考察や感情を読み取ってしまい、さらに良い文章のように思えるという、脳が誤解しているだけという理由なのかもしれません。

まとめ

正直、これが本当に自分にとってもエモさの要素であるのかはわかりません。

そもそも「エモい」の定義自体あやふやなわけですし。

個人的には「趣がある」や「芸術性を感じる」と言った言葉に近いだろうと思っています。

人の数だけエモさがあるのかもしれません。

あなたにとってのエモさを見つけてみてください。

そしてそのエモさをこの記事とともにシェアしてくれたら、絡みに行くかもしれません。

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